1975年12月16日、五つ子の誕生に沸く鹿児島市立病院にて生を受ける。
共働きの家庭に育った為、一人でいる事が多かった。のめり込むと、とことんまでいくのは幼き頃から。車、電車、恐竜、昆虫、熱帯魚、など興味の対象はその時々で変わったが、どれも例外なくのめり込んだ。でも知ることが無くなると、すぐに飽きてしまった。
中1。飽きることの無い永遠の興味を見つける。音楽。まだ褐色のマイケル・ジャクソンに完全に夢中になった。とてつもなく格好よくて、自分もあんな風になりたかった。あくまでも当時のマイケルです。今のマイケルには・・・ちょっとねぇ(笑)。でもどんなにやってもムーンウォークは出来なかった。
中2。モトリー・クルーでメタルに目覚める。ギターとベースの区別も付かないのに、ギタリストに憧れた。Aria proUのギターを中古で購入。アクションの練習を中心にスキルアップ。高校はエスカレーターだった為、受験もなく練習にも熱が入った。バンドも組み、コンテストにも出た。インテレクチュアル・スラッシュ・メタルという分野を切り開こうとしたが、鹿児島にニーズは無かった。
大学進学。デオキシリボ核酸の勉強をする気は余り無かった。上京したら、楽しい事だらけなものですから。レコード、CDは買い漁ったが、その他の遊びにも忙しかった。日本の大学教育の縮図を見るようだ。すみません。次第に飽きてくると、また音楽熱が沸々と。アコギを買い、オリジナル曲を書き、フォークの真似事をして街中で友人と歌い始めた。「就職」という選択肢が消えて無くなった。学科では自分一人だったような…。よい子はマネをしないように。
卒業して京都に移住。一緒に歌ってた友人がその1年前に就職で京都に行っていた。遠距離恋愛のカップルの様に自分が追いかけて行ったわけだ。プロになろうぜ、って。そこでベースとドラムが加わり後のMILKRUNが結成された。全員がプロを目指しているバンドってのはエナジーが違った。ただ、さあこれから、って時にその友人が事故で亡くなってしまった。最高のボーカリストだったし、中1からの親友でもあった。その後、その友人を引き継いでボーカルも務めるようになる。
デモテープを作って、それがめでたく認められて上京する事になった。ストリートライブもやればやるだけお客さんが増えて行った。本当にありがたかった。ただ、まだプロでやることがどういうことか分かってなかった。2002年MILKRUNデビュー。3枚のシングル、1枚のアルバムを発表した。いい曲を残せたと思うが、それだけでは駄目だった。
20代後半は理想と現実のギャップに思い悩むもの。いつの時代も同じです。そんな中、プロデューサー各氏に出会った。プロのアーティストという形を自分に強烈に示してくれた。ボーカリストとして、ギタリストとして、コンポーザーとして、様々な事を学んだ。2004年、AUDIO RULEZとして再びデビュー。痛みを伴う構造改革。だが、音楽と真正面から向き合う日々。3枚のシングル発表後、集大成のアルバムを出した。隕石の様に燃え尽きて2005年エイプリルフールのライブで解散した。
その後は、ラジオマンとして様々な番組を制作すると共に、北京オリンピックの現地取材、レポーターなどバタバタと・・・そして、自身の音楽活動も継続。渋谷を中心にアコースティック・ライブを定期的に開催している。
・・・to be continued・・・